2012年1月7日
初稽古
高野宗廣(茨城不白会)
新年、一月七日、自宅で初釜を催しました。時間と労力を惜しまず、心からの「もてなし」を心がけ、大勢で参加する和やかな茶会をテーマにしました。昨年の暮れに、試行錯誤しながらの会記作り。徐々に気持ちを高めていきました。掛物は「無事是吉祥」竹台子、皆具は唐銅。茶碗は萩。十一名の客を迎えました。
席入り後の献茶に始まり、炭点前をし、しばし湯音に耳を傾け、この静寂な心地よい時間を過ごせる事に、心から感謝いたしました。茨城支部では、昨年は皆で楽しみながら稽古ができる「花月」を数多くしましたので、それを実践してみようと思いました。
初めは、花付き花月。次は香付き花月。香銘は、「梅の香」。休憩を入れ、続いて懐石料理が運ばれ、和やかに寛いだ雰囲気になっていきました。私が凝った一皿は幸運が重なりますようにと、食材に「ん」が二つ付く物。銀杏、半片、隠元、人参、蓮根、金柑。等々十二種を盛り込み、南天と金粉で飾った料理。笑い声が上がり、指を折ったり、声に出したりと、話がはずみました。お酒は甘酒。熱いうちにと気になる一つでしたが、満足していただけた様でした。
中立ち後、最後は、いよいよ濃茶付花月。菓子は、富貴豆を栗きんとんで包み、花芯は梅肉で色付けしてみました。銘は「白梅」。集中した数回の練習の成果も出て、やっと安堵の面持ちになっていきました。茶銘は「妙寿」、詰は伊藤園、茶杓は「希望」。
なるべく自分らしい手づくりでと心がけた初釜を兼ねた初稽古は、十時から二時までの四時間。終わってみれば、あっという間の感じがします。
この年が、平和で健やかでありますよう、切に願い手を合わせました。多くのお仲間の方々と、お茶の稽古を楽しめる幸せを噛みしめた年のはじめでした。
カテゴリー:行事・茶会 「初稽古 」のリンク
2011年12月3日
ご相伝に臨んで
大井朝雪(長野不白会)
あこがれの看板を手にして
十二月三日、支部長宅のお茶室にての相伝式で師範のお免状をいただきました。
最初にいただいた茶通箱の許状から乱飾の許状は書物でした。師範になりますと、お看板もいただき、そこにはやさしい書体で、師範と道号が書かれておりました。適度な重さのお看板を手にして私がお茶の師範を? いいの? と一瞬思いました。自分の未熟さを感じて修行中なのにいいのかな……と思ったのです。
若いときから「お茶」、この言葉の響きに何か心が癒される感じをもっていました。いつか茶道を学びたいと願い、五十代半ばで始めました。意欲はあっても身体がお茶バージョンになかなかなれません。また、茶道の世界は幅が広く、その一つずつの奥がとても深いと驚きました。「喫茶去」、その意味を知ったとき、なんとお茶の世界は話のわかる気持ちの大きな世界なのでしょうと思ったものです。ところがお茶の世界を少々知った今、この言葉はお茶を点てる人、お茶をいただく人がともにお茶を深く理解している、その時に使われることがもっともふさわしいということがよくわかりました。
しかし、あまり考えず前向きに、師範のお免状はやっと茶道入門を許されたものとの言葉を思い出し、これからお看板に恥じぬように精進しようと思います。
先生、先輩、仲間の皆様、そして協力してくれている家族に感謝し、また人生の最終章で魅力ある趣味に出会えたことにも感謝して精進しながら「お茶」を楽しみたいと思っています。
カテゴリー:行事・茶会 「ご相伝に臨んで」のリンク
2011年11月6日
心尽くしのご相伝式
福田宗勝(大分不白会)
十一月六日、大分支部では、お家元をお迎えして乱飾のご相伝式が行われました。生憎の雨でお家元には御苦労をおかけしてしまいましたが、感動いっぱいのご相伝式でした。
しっとり濡れた露地の草木に落ち着きをもらって始まった朝。寄付では期待と緊張が少しずつ膨らみます。そしてお席入り。ぴいんと張った空気、胸が高鳴ります。お家元のお炭点前。息を潜めてしっかり拝見に浸る皆。私もお家元のお点前やお話に神経を集中させました。感動と緊張、至福の時。お茶事が続いていきました。お茶事の後、お家元より、親しく和やかに許状をいただいた十二名、だれもが感激、感激の表情でした。
ご相伝式で受け取らせていただく事がいろいろあった中、私の心に強く響いたのは、私共の為にお家元がお持ち下さったお軸、「紅爐一點雪」です。
「『こうろいってんのゆき』と読みますが、皆さんは、どのように解釈しますか」
情景は想い浮かぶものの、解釈については(うーん)と考え込んだ私でした。
ややあってお家元が話して下さいました。「いろんな解釈ができると思うが、紅く燃える炉中に一片の雪が舞えば、雪という存在は忽ち消える厳しい現象。この厳しい現象を回避するか否かの選択をするならば、敢えてその厳しさに立ち向かう方を取りたい。発想の転換をすることにより、失敗を恐れず勇気を持って挑戦し、新たなものを見つけられる事に期待したい」
といった旨の内容だったかと思います。
逃げ腰弱腰の自分を見透かされたような衝撃と、お家元の物事に対する熱い姿勢を感じました。
「気の短い人には落ち着きを、気のない人には気付かせるために、茶の湯は結構役立つもの」(便覧四十五号)とお家元が書かれていましたが、「気付かぬ」私は、茶の湯のお陰で教えられ、気付かされの機をいただいたと実感すること多々ありました。そして此の度の大きな気づかされ、「紅爐一點雪」です。お家元よりのこの励まし、贐の言葉は、ご相伝式でいただいた大切な物の一つです。今後は、茶の湯を含め生活の中で、私の歩む道の新たな灯にしていきたいと思います。
カテゴリー:行事・茶会 「心尽くしのご相伝式」のリンク
2011年9月26日
エコと日本文化と茶の湯
椎名宗梨(羅府不白会)
二〇一一年九月二十六日、日本の内閣府認定NPOフォーエヴァーグリーンより依頼を受け、地球温暖化防止活動の一貫としてロサンゼルス近郊のディスカンソガーデン内の日本庭園にてお茶会を行いました。
「温故知新」をコンセプトとし、日本文化をエコのアイディアの源泉として紹介するという、先進的な開催主旨が認められ、このお茶会は現地英語新聞二社が一面のトップで報じました。
フォーエヴァーグリーンさんの日米の子ども達による地球温暖化に関する国際交流事業は大変高く評価され、今回のお茶会は、子ども達と環境という視点で考えながら開く事ができ映像作品では茶道監督として紹介され、私自身もとても勉強になりました。
まず、子供たちに茶の湯を実践してもらうために、学校へ出張し、生徒達に基礎体験講座を行いました。生徒達は亭主、半東、正客、陰点てに分かれて各パート毎のお稽古に取り組みます。アメリカ人生徒達の日本文化への敬意ある学びの姿勢は大変素晴らしく、環境との接点を模索するという「勉強の時間」ですが初めての浴衣に歓声を上げながら楽しく取り組む姿がありました。茶の湯を通し、思いやりの心を、物を大切に扱う事、次の人を考える礼節等も学びます。
お茶会の様子は、「大量生産・大量消費・大量廃棄」という二十世紀型のビジネスから、新しい目線で持続可能な社会を築く為に、生徒同士が環境問題を議論するビデオレターとして日本に送られるとの事。
これまでに無い評価と新しい視点、世界で認められる日本の姿をお伝えしたく、筆をしたためさせて頂きました。
カテゴリー:行事・茶会 「エコと日本文化と茶の湯 」のリンク
2011年8月24日
バングラデシュでの茶会--バングラデシュ大使邸にて
高橋宗千(東京不白会)
バングラデシュ大使邸で
『大唐西域記』の三蔵法師である玄奘三蔵も訪れた古代仏教の都、バングラデシュにてお茶会を催しました。
滞在したのがちょうどラマダンの期間でしたから、この国の人たちは日の出から飲食を断ち、日没後のラマダン明けに夕食が始まります。必ず食するものとして、サモサ、ブリ、ペアジなど、揚げ物はベンガル人の得意アイテムです。それにバングラデシュの国魚イリッシュのから揚げ、ボッタ、鶏肉のカレー等。
元バングラデシュ大使のハク夫人が親戚、知り合いなどを十数名、客として招待して下さいました。
食事後、日本から持参した茶籠、大使邸で調達したバングラデシュのお盆、紅茶用ガラスのポット、ベンガル製真鍮ボールを建水として用い、テーブル茶のおもてなしを致しました。菓子は、鶴屋吉信の日本の夏の趣の干菓子を。通訳をつけて茶事の成り立ちなども説明をしながら行いました。
今回は、ハイソサイティの人々の集まりで、大学教授、ハーブの研究者等の方々から、とても興味を示され、大使夫妻も日本の生活を懐かしんでおられ、大使邸で働く若者も、とても興味を示しておりました。
村の中に一歩足を踏み入れると、農作業に勤しみ茶飲み話に興じる男性や、炊事洗濯と子育てや家畜の世話に忙しく働く女性たち、そこら中で元気に遊び回る子どもたちの姿に、都市化と近代化が極限まで進んだ日本から訪れた我々は「自分たちが失ってしまったもの」に気づかされました。もちろん、それは一面で、我々が想像できない厳しい現実に直面しているのですが。
この度は、財団法人日本財団の社会ボランティア賞の推薦により、当地を訪れることになりましたが、この茶事がバングラデシュでの糸口、文化の懸け橋になればと願っています。
この茶会を催したことで、現地の女性支援の方から、バングラデシュの女性にテーブル茶の作法を、という話が持ち上がっています。
カテゴリー:行事・茶会 「バングラデシュでの茶会--バングラデシュ大使邸にて」のリンク
2011年8月7日
上越はすまつり茶会
関宗栄(高田不白会)
去る八月七日、市の行事の一環として観蓮茶会を担当させていただきました。野点ですから前日の準備ができないので朝六時と早く、お茶席は八時から十二時と短時間ですが、充実したひとときでした。涼しさを感じられるようにが、お道具組のテーマです。私の先生の小川支部長とその社中の方々にお手伝いをしていただきました。
サポーターをしながら一生懸命にお点前
私の社中の一人は小学二年生から稽古に来、紅葉のような手で工夫して服紗を畳み、お点前をしていたのが今は中学生になり、この茶会のお点前をいたしました。クラブ活動等大変になって前日に足を捻挫し、サポーターをしてのことでした。高校生になっても続けられるよう願っております。社中も今は大分慣れてきまして喜んでいます。
会場は時折お堀の蓮の花が揺れ葉がうねり涼風が吹き一服の清涼剤でした。お茶関係の方々、一般市民の皆様、観光で訪れた方々、大勢の方においでいただき、感謝でいっぱいでした。
カテゴリー:行事・茶会 「上越はすまつり茶会」のリンク
2011年7月31日
観蓮茶会
田村詠雪(高田不白会)
東洋一の美しさと賞されている高田公園のハスは、季節の風物詩として広く市民に親しまれています。七月上旬から紅白の花が咲き乱れるこの絶景を愛でて毎年はすまつりが開催されます。はすまつりには観蓮茶会が催され、一日目の七月三十一日は江戸千家が席を受け持つこととなり、初めて茶会を担当いたしました。
真夏の暑さに少しでも涼を取り入れる工夫はあるだろうか。お受けしたものの亭主の役が無事務まるだろうか、日が近づくにつれて不安が高まりました。
席を設ける近くの蓮の花咲きが遅く、心配しましたが、間に合うように咲いてくれました。夜中には雨も降りましたが、朝方には雨もあがり茶席の開会には間に合いました。そんなこんなで、最初の挨拶ができるまで緊張しておりましたが、皆様に助けられて無事に担当することができまして感謝しています。
カテゴリー:行事・茶会 「観蓮茶会」のリンク
2011年6月28日
福島不白会 二十周年記念の食事会
白井宗節(福島不白会支部長)
初代支部長徳山先生を囲む
二十周年の記念式典・茶会は中止する事が決まりましたが、宗匠や宗康先生のお勧めもあり、被災した会員にも協力してもらい、記念の食事会を行いました。周辺の状況を考慮して洋服での出席を通知し、気軽に二十周年を祝うことにしました。
六月二十八日、新白河駅前のホテルに宗匠、宗康先生をお迎えし、また初代支部長の徳山宗玉先生も車椅子で出席して下さいました。
宗匠からは二十周年を祝うお言葉と、東日本大震災の被災のお見舞いの言葉をいただきました。徳山初代支部長が会の基礎を築いてくれ、岩谷前支部長が充実した会に育ててくれて福島不白会の現在があることを改めて思いました。
被災以後、福島原子力発電所の状況が深刻になり、どうしても気が沈みがちで、地域の茶会も中止が多く、会員同士、なかなか顔を合わせることができません。皆が一同に集まる事ができ、ほっとしたとの声を聞きました。かつて家元教場研究会に参加していた現在八十歳を越える会員は、気軽に皆様とお話ができたことをとても喜んでいました。
宗匠が「義 すじみちをたてる」という自筆の色紙を贈呈して下さいました。さまざまな思いをもって各人この言葉を胸に刻んでいるようでした。
食後、宗匠がお持ちくださった「青梅」を味わい、お薄を一服。ほっとしたとき、宗匠が横笛を聴かせて下さいました。 本当に癒されました。 宗康先生には、講演をお願いしておりましたので、研究された一部をお話しいただきました。
短い時間でしたが心に残る楽しい食事会になりました。
その後、記念に準備した「松籟」の扇子を、出席していただくはずだった近隣の支部に、式典中止のお詫びとともに贈りましたところ、お見舞いや激励のお言葉をいただました。
震災以来、気力を失っていた会員が、この食事会に出席して自信がつき、その週からお稽古を再開した方がいました。 私も気持ちの整理ができないでいましたが、大規模半壊の自宅を建て替えることにしました。皆様の力強い励ましのおかげで、一歩前に進めようと考え始めています。
一堂に会して記念写真
カテゴリー:行事・茶会 「福島不白会 二十周年記念の食事会」のリンク
2011年5月15日
◎繋がっていく力
幸田宗陽(福島不白会)
震災後の無気力の気持ちを、護国寺のお茶会で吹き飛ばされ、帰り道、今日いただいたこのエネルギーを無駄にしてはならない、被災された方をお招きしようと思い、もうこれで終わりと一瞬覚悟したという方をお正客に、職場が罹災し、仕事を失った方をご次客に、家が流された兄弟ご夫婦をこの地に安住させた方を、お三客に、五月十五日、花見の茶会と称して行いました。
朝、亭主役をお願いし、お庭を提供して下さったH様宅へ。前日、ご主人様と共に、駐車場を水洗いし、ソファーをセットしてくださったその位置からは、50アールに植えたばかりの早苗が、揺れる水田を背に樹齢五十年を越えるぼたん桜が、八割方花を落とし、地上には花筵に、水田には花筏にと装い、その周りには藤、つつじ、あやめ等々、花の歓迎を感じました。
今日は、初座:料理は美しく盛ること、華やかに。後座:濃茶はたっぷりと少し薄めに、寂に。
そしてお客様にまた来たいと思える様、心を込めてお接待することを確認してはじめました。
招く側は一人一品を一皿に美しく盛ること。
お客様には取り皿に、一品ずつ美しく取り回すことをお願いしました。
隣の人の盛りつけを見比べながら真剣に悩む姿をほほえましく思えました。お話はやはり料理の材料、作り方に関心が集まり、三客お持たせの早池峰山麓白ワインをいただきながら盛り上がりました。
深見草の主菓子をお出しして中立ちへ。
高桐院を訪ねた時、お願いした記念の扇面。剛山書、「柳緑花紅」をお軸に、村上市の九重園、うきふねを二寸小棗に入れ、包服紗にして盆に飾り、濃茶を点てました。
約束通り、絵唐津の円相の茶碗にたっぷりと少し薄めのお茶をお出しすることができました。
お薄が終わる頃、残された二割の桜の花びらが天から風に誘われて舞い散りました。歓声をあげ「さようなら、又、来年まで、ごきげんよう」と言われているよう、と言い合いました。つられて見上げた空は五月晴れ、絹のような薄雲が鶴を形どって北に向かって飛んでおりました。
カテゴリー:行事・茶会 「◎繋がっていく力」のリンク
2011年5月1日
シュウ・ウエムラ・グループ主催ディナーショーで茶会
ロサンゼルス不白会
ディナー茶会会場
ロサンゼルス不白会の活動が、当地日本語新聞の『羅府新報』に掲載されました。シュウ・ウエムラ・グループはハリウッドに渡ってメイクアップの分野で成功した植村秀氏が興した世界でも注目されるブランドだそうです。転載します。(編)
【シュウ・ウエムラ・グループ
江戸千家LA不白会の茶会を堪能】
カナダのシュウ・ウエムラ・アート・オブ・ヘアー主催のディナーショーがこのほど、ハリウッド丘陵にそびえ立つ「山城レストラン」で開催され、江戸千家LA不白会(西村宗櫛会長)が日本の「端午の節句」にちなんだ茶会を披露して出席者に感銘を与えた。
皆で記念写真
カナダから「芸術の都」ハリウッドを訪れたのは全員が美容師の資格を持つシュウ・ウエムラ・グループのメンバー三十九人。茶の湯に対する関心は非常に高く、琴演奏の音色が優雅に流れる中、西村社中による茶会が厳かに始まると会場は茶会独特の粛然とした雰囲気に包まれる。要所ごとに行われる作法の説明にうなずきながら、きめ細かい所作に感嘆の表情を見せるなど、茶の湯「初体験」を存分に楽しんでいた。
また共演した山野流着物ショーや琴演奏(鯨岡さえ子師)にも興味を示し、特に男性の着物姿は彼らの目には珍しく映ったようだ。爽やかさの中に華やかさを添えた「芸者の着付け」披露が始まると真剣な眼差しで見つめ、目を輝かせていたのも印象的。
柏餅と抹茶を美味しそうに味わう出席者に、茶の湯の歴史や作法などを説明しながら西村会長は「東日本大震災により被災された人々の心の安寧と、一日も早い復興を願い日本の伝統文化を紹介しました。茶会が初めての人も多かったのですが、カナダをはじめ、世界の人たちと一服の茶の湯を通して心の交わりが深められた思いでした」との感想を述べた。
カテゴリー:行事・茶会 「シュウ・ウエムラ・グループ主催ディナーショーで茶会」のリンク
2011年4月29日
着物でお花見、美味しいお茶を
河村千香子(青森不白会)
津軽にも花の季節がやってまいりました。四月二十九日、築城四百年を迎える弘前市に出掛けました。
弘前市は藩祖津軽為信公により計画され、二代目藩主信枚公が慶長十六年(一六一一)に城を完成し、津軽地域の政治、経済、文化の中心都市として発展しました。その頃から植えられた桜の木は染井吉野や枝垂れ桜、大山桜、八重桜等種類も多く、約二千六百本余りが豪華絢爛に園内を埋め尽くします。
公園へと進むなか追手門東側、お堀に面した七分咲きの桜並木が濃いピンクに彩られ、すばらしい景観を醸し出していました。
こおれもまた桜の花の一面かな、とただただ感激しました。蕾にはじまり、七分咲きのピンク一色、満開時の白、はらはらと散りゆく花びらの一ひら一ひらが優雅に舞い湖面を満開にしてくれます。いつ見てもその時々に風情があります。
立礼の寛いだ茶席
公園内の茶室(松風亭)へ、玄関側の水琴窟のかすかな音色に耳を傾け、春の香りに迎えられました。
さっそくお当番を定めいよいよお茶事の始まりです。足の悪い方の為、立礼棚にてお薄を、お道具は地元の津軽塗の茶入、七子塗の茶杓、桜模様の水指でございます。お菓子は四百年前のお殿様も召し上がったであろう素朴なお干菓子と羊羹を用意しました。続けてお花見弁当をいただきながら、和やかに会話もはずみ中立ち後は香り高いお濃茶を心ゆくまで堪能し、弘前城と桜の花のもとお茶会のテーマを恙なく終われましたこと、次回の事等話しながら帰路につきました。
カテゴリー:行事・茶会 「着物でお花見、美味しいお茶を」のリンク
2011年4月24日
武家屋敷「能見邸」で師を偲ぶ茶会
手嶋貴史子(大分不白会)
若葉香る四月二十四日、江戸千家大分不白会総会が、杵築市の能見邸にて行われました。
杵築氏は、江戸時代は松平家三万二千石の小藩ではありましたが、海、山、川の景観に恵まれており、小京都と云われる城下町です。
会場となった能見邸は、故宇都宮宗和先生のご生家でもあり、逝去された後、家老職の家であった旧邸を市に寄贈され、改修工事を経て昨年四月に武家屋敷「能見邸」として立派に復元されました。
今年の総会を開催するにあたり、先生のご生家でもあることから先生を偲ぶお席をと準備を進めました。
床には「無量寿」のお軸を掛けました(無限の寿命をもつものという意味)、お花はひょうたん木とオダマキ、香合はお琴。
脇床の上の棚に柔和な先生のお写真を飾り、その前にお菓子をお供えしました。その下に置いた水盤にオアシスを入れ、その周りに柳の枝を巻き付け(花言葉は追悼)、白とピンクの椿を挿し、一番上に河北支部長により赤い牡丹が一輪献花され、中野副支部長によりお水が挿されました。
続いて、先生が生前お使いになられていた堆朱のお薄器とお茶碗をお借りしてお薄席が始まりました。先生が一番好まれていたお茶碗で、先生のお弟子さんの緒方さんによりお薄が点てられ、そのお茶を天目台に乗せて衛藤さんにお供えしていただきました。
お席では、宇都宮先生のお人柄を偲びながら、たくさんの思い出話に花が咲き、とても和やかで楽しいお席となりました。
カテゴリー:行事・茶会 「武家屋敷「能見邸」で師を偲ぶ茶会」のリンク
2011年4月10日
被災地報告
福士宗信(岩手不白会)
去る三月十一日発生の東日本大震災で全国の江戸千家会員よりお見舞い並びに、お励ましをいただき誠にありがとうございました。また、江戸千家全国連合不白会にさっそく義援金募集の窓口を設けていただき心より感謝申し上げます。
避難所でお抹茶を振る舞う
千年に一度ともいわれる未曾有の大震災、特に津波被害で岩手不白会の沿岸部の会員七人は大きな被害を受けました。特に釜石市の会員六人は皆さんが海岸近くに住んでいたとあって何とか避難はしたものの家はすべて津波で押しつぶされ流されてしまいました。このため会員らは現在不自由な避難所生活を送っています。
大震災からおよそ一ヶ月後の四月十日に岩手不白会のお見舞いをもって、家内と二人で会員のいる釜石市の避難所を訪問しました。会員が避難している旧釜石第一中学校体育館の避難所には、およそ百五十人の被災者が共同生活をしていましたが、私たちが訪問したときは昼過ぎで、お年寄りたち三十人ほどが休んでいました。
まず会員にお見舞いを申し上げ、それから持っていった抹茶を点て一服差し上げました。久し振りに抹茶をいただいたという会員は、「まさか避難所で抹茶をいただけるとは思ってもいなかった、とてもおいしく生き返りました」と大変喜んでいました。また、周りで休んでいらした皆さんにも抹茶を点て、差し上げました。
皆さんは「お茶の作法はよく知りませんが、どのようにしたらいいんですか」と尋ね、「どうぞそのまま気軽に召し上がってください」と話しますと、両手で茶碗をしっかりと握り、おいしそうに飲んでいました。そして「抹茶というのはとてもおいしいものですね」と、大変喜んでくださいました。
避難所生活はプライバシーがなくとても大変ですが、抹茶を飲んだ皆さんの顔に、少しほっとした表情が見えたことが何よりでした。私たちも抹茶を差し上げたことがよかったと改めて抹茶の良さを感じました。
カテゴリー:行事・茶会 「被災地報告」のリンク
2011年1月16日
岩手不白会初釜
星山宗淑(岩手不白会)
初釜風景
盛岡の新しい年は、例年にない大雪の中で迎えましたが、岩手不白会の恒例の初釜は一月十六日快晴の中、百六十名の会員が出席して盛岡グランドホテルにて開催されました。
会長の挨拶の中で、お家元より頂戴した色紙「義」と「礼」のご披露があり、この儒教の二語が本年の岩手不白会のテーマであると話されました。
濃茶席は御初代のお筆「鶴宿萬年松」がかかげられ、御初代のお茶入「布袋」、茶杓「磯の松」を使い、嶋台のお茶碗で大福の濃茶をいただき、新年をお祝いしました。
続いて薄茶席は宗匠のお筆「今日梅友いまだ鳴ずの処」のお軸がかかり、初釜のお席にこの上なくよくあいまして、皆様が感心されて拝見しておりました。干支のお茶碗ともども早春の風情が感じられ、明るいお席でありました。
今年一年卯年にちなみ、会員一同飛躍してまいりたいものであります。点心は三田名誉会長の乾杯のご発声で全員揃って会食し、その後福引きと続き、和気藹々と時間を忘れて楽しい一日を過ごしました。
カテゴリー:行事・茶会 「岩手不白会初釜」のリンク
2011年1月8日
七事式で新春を祝う
ロサンゼルス不白会
ロサンゼルスで発行されている新聞、日本語新聞「羅府新報」に、ロサンゼルス不白会新井宗京社中の初釜が掲載されました。
以下、転載します(編)
七事式且座で、日頃の稽古の成果を
江戸千家ロサンゼルス不白会、新井宗京社中は一月八日、ロングビーチ自宅の鶴林庵で初釜を催し新春を祝った。
新井社中は日頃の稽古の発表を兼ね、特別正月行事として七事式の且座を行った。
床には「日々是好日」山下顕光老師筆の軸を掛け、棚は山田嘉丙作の木瓜卓名心庵花押入を使った。また、薄器に川北良造作の山中黒棗名心庵花押入、茶杓には十代川上宗雪名心庵作の「松の友」を取り合わせた。
七事式且座の稽古では、花、炭、香、濃茶、薄茶のうち花、炭、香は客方へ所望し、濃茶は東(亭主)、薄茶は半東が行う。まず札を引き各担当を決め、正客(花)は和具名幸子、次客(炭)は榊原美香、三客(香)はマーセリオ宗和、東(濃茶)は景山アン、半東(薄茶)は藤田宗明の役割で行った。半東は東の補助で通い役も行うため最初から最後まで気の抜けない気配りが必要である。
新井社中、記念撮影
七事式の且座は初座から後座へと展開する茶事全体の有様を学ぶ法である。最後の薄茶は廻し点てにして一同楽しみ、且座を通して茶事の醍醐味を学ぶことができた。一挙一動全ての立居振舞いに細心の注意を払い久しぶりに緊張感のある茶事を味わった。
また、懐石には新井宗京師の手造りのお節とお雑煮をいただき、最後に福引で無事に御初釜を終ることができた。本年も基本を大切に、そして日常の暮らしの中に茶の湯の精神を取り入れて行きたいと思う
カテゴリー:行事・茶会 「七事式で新春を祝う」のリンク
2010年12月4日
孤峰忌と追善茶会
一木宗知(福岡不白会)
蓮鶴先生を偲びつつ
十二月四日、孤峰忌と共に蓮鶴先生追善茶会を行いました。昨日までの大変寒くどんよりした天気も当日は晴れ渡り、最高の日和となりました。日本庭園のもみじも紅葉が少し残り美しい光景です。床の間に三具足、不白像、蓮鶴先生のお写真を飾り、お招きした禅宗乳峰寺和尚様読経の中、供茶式が始められました。
点てられた御茶が供えられると、蓮鶴先生のお元気な頃、福岡の研究会においで下さった際の思い出、美しいお点前、時には厳しいお教えなどが、走馬灯のように浮かんで参りました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
続いて和尚様の「人との和を大切に」という説法がありました。夫婦間先輩、後輩、すべて最初の挨拶きちんとできなくてはいけないとのお話でした。茶道も同じことと思います。
午後点心に続き、濃茶のお席を設けました。その折、床の間に会員田中孝様のコレクションから、ご好意により鎌倉時代紺紙金泥経、三昧耶経般若波羅蜜多理趣経の素晴らしい軸を掛けさせていただきました。供茶式に貴重な軸を拝見させていただき、とてもよき孤峰忌ができた事を嬉しく思っております。
カテゴリー:行事・茶会 「孤峰忌と追善茶会」のリンク
2010年11月27日
乱飾許状式に列席して
疋田宗静(静岡不白会)
一昨年の暮、思いがけず主人の病を得、来年の家元での相伝式に三人の若い人達を連れて行くという責任のみを目的として、一年を過ごしてまいりました。
通いなれたお家元の門前に立ち、歩進めた時の感激は一生忘れることのできない程の思いでございました。
清められた玄関、水を打った中庭を通り、温められた寄付に、研究会でお世話になった先生方にお会いしたときは、嬉しうございました。
床に飾られた、数々のお道具の箱書きも見、三々五々正装で集まっていらっしゃる皆様と緊張して待つことしばし。お家元自らのお迎え付け、入席。間もなく流れるような家元のお炭点前が始まり、続いて奥様お手づからのお懐石、お祝の御酒をいただき、一年分を、ゆったりと味わった思いでございました。
中立ちの後、、白椿一輪、凛と生けられた床に迎えられました。自分自身がいただいたときは、ただただ夢中で、お看板を胸に抱いて夕暮れの街を帰路についたことしか覚えていないのに、この度、台天目、盆点から総合して乱飾へと続く、一連のお点前を夢中で拝見し、自分自身の相伝式のように感じました。
三人の社中、それぞれによい御茶名をいただき、家元自ら許状、お看板を授けてくださいました。その重みを忘れることなく、日本の伝統美をである茶の湯を引き継げるよう、社中一同精進したいと思っております。
どんなことがあったときも、この道一筋に歩んで来て、本当に良かったと思っています。これからも皆と一緒に一歩ずつ歩いて行きたいと思っています。
カテゴリー:行事・茶会 「乱飾許状式に列席して」のリンク
2010年11月3日
青森市諸流の茶会に学ぶ
畑山智恵(青森不白会)
去る十一月三日、地善知鳥神社において恒例の諸流の茶会が開催された。茶道の六流派が参加する中、江戸千家では青森不白会木立先生が席主を務められ、経験の浅い私も社中の一人としてお手伝いすることになり、前日の支度から参加した。
先生のご指導のもと如何にお客様を快く迎えることができるか、会場の設営、道具の取り合わせ等、とてもよい勉強になった。
はじめて目にした、脇床にどっしりと据えられた茶壺。木立先生の茶壺のお話と合わせて茶の湯の長い歴史を痛感した。
当日はお菓子の盛りつけ、点前、半東と、未熟な私にはかなりの大役。日頃先生のおっしゃる「お客様においしいお茶を差し上げる」ということを心にしっかりとめて頑張ろうと思った。
当日の朝早く床に花が活けられた。つわぶきのかげからそっと「照り葉」が覗くのを見て、秋の終わりがこんなに小さな世界に表現されている素晴らしさに思わず感動した。
お菓子を盛り付けているとき、社中の若い方が次のように話しかけた。
「ここの列を少しこちらに角度を変えたら、お客様はとりやすいと思いますけれど、どうでしょうか」。私は、この一言に全身を打たれたような感動を覚えた。私は自分から見た目、自分のやりやすいやり方、それがすべてでした。「お客様においしいお茶を」という精神が、こんな細やかな事にまで及んでこそつながるのだということを改めて考えさせられた。
私の点前は最後だったので、気持ちの上で少しは余裕があるはずが、かなりの緊張でいくつか失敗がありました。しかしお道具の素晴らしさ、お花の見事さ、秀衡塗の見事に大きな菓子器、そしてお客様の感動の声等によって、救われた気がした。
いろいろな面でお客様と同様、私自身の感性が少しずつでも上達すればそれがお客様に通ずる道と、とても勉強になった二日間でした。
カテゴリー:行事・茶会 「青森市諸流の茶会に学ぶ」のリンク
2010年10月23日
名残の茶会
西村宗櫛(ロサンゼルス不白会)
やぶれ風炉にて炭点前
(ロサンゼルス不白会西村宗櫛氏が主催した「名残の茶会」が,現地の日本語新聞「羅府新報」に掲載されました。転載します。 編)
茶道江戸千家ロサンゼルス不白会の西村宗櫛社中は十月二十三日、「名残りの茶会」を西村宗櫛宅「錦泉庵」で開催した。「仲秋の名月」を祝う茶会におよそ三十人が参加し、日本の風物詩を堪能する茶席となった。
ベランダで月見、初座で点心懐石のあと炭点前と続き、濃茶席では乗富克久さんが亭主を務め、厳かな雰囲気漂う茶室に十七人の客を迎え入れた。床に掛けられたのは十代川上宗雪筆の「中秋」、時代籠の花入に飾られたすすきと菊が秋の彩りを添える。
香合は名月・吉向窯七世松月、香は秋篠、釜は惣霰地紋鶴首釜・菊池正直作のやぶれ風炉。水指は享保の高取焼細一重口、茶入は宗胡録耳付き写し、茶碗は李朝、替には李朝・高取を使用。茶杓は松斉作の輪島塗の秋もみじ、茶は星野園の星の奥が使われた。茶道を習い始めて十年という乗富さんは、一つひとつ美しい所作で茶を点てていく。
濃茶席のしつらい
薄茶席はお盆付き茶箱で行われ、椎名宗梨さんが亭主、半東を兼子宗理さんが担当。釜は薩摩焼と銀瓶、茶箱は利休形竹蒔絵茶箱・皆具、茶碗は亀甲繋ぎ名月、仕服に奈良古代切れを使用。また茶杓に秋草、茶は星野園の星峰が使われた。松山夕貴子さんの琴の演奏とともに行われた薄茶席は野点風立礼席で行われ、濃茶とはまた違う薄茶の味わいを金平糖と干菓子「秋の吹き寄せ」とともに堪能した。
茶席参加者は日本人だけでなく、渡米してまだ一年というモンゴル人のソゴ・ガンゼンさんは茶席を終え、「日本の伝統文化を体験し、あらためてその素晴らしさを実感できた。また参加したい」と述べ、はじめての茶会を楽しんだ。
濃茶点前
同じく初参加者のミシュエル・ウォンさんは、「畳のある本格的な茶室で茶道を体験でき、まるで日本にいるかのようだった。濃茶の味は苦かったが飲んだ後、身体が浄化されていくような感覚を味わえた」と語り、はじめての茶会を満喫した様子をみせた。
西村宗櫛氏は参加者に対し「日本の伝統文化のひとつである茶道に興味を持ってくれたことをうれしく思います」と謝意を表し、「これからもぜひ参加し、茶道を楽しんでほしい」と今後の継続的な参加を呼びかけた。心温まるもてなしに、参加者一同から感謝するとともに、日本の伝統行事の茶道の奥ゆかしさを再認識する日となった。
立礼の薄茶席
点心を楽しむ
カテゴリー:行事・茶会 「名残の茶会」のリンク
2010年9月4日
妙高天心茶会バス旅行に参加して
幸田宗陽(福島不白会)
天心山荘茶室
天心山荘の周辺は、下草が借り上げられた清々しさの中に、夏の侘びた残花と、初秋の花々が入り混じり猛暑の中にも高原の少し早い秋を感じさせてくれました。
「美の国からの美のための大使……天心。妙高高原こそなり、霊感満ち満つ世界一! 世界一の景勝の地!」との案内板を目にして、ここはそういう土地なのかと、記憶にとどめ山荘に向かいました。
お家元の供茶式が厳かに始まり、六角堂の天心像の前に捧げられた白天目の前で、袴姿に式章を懸け、般若経を唱える会員の方のうしろで、今ここに参加できました幸せに感謝致しました。
天心山荘のお席は、一行づつ替わる金と銀の法華経のお軸、端正な文字の並びに心の引き締まる思いが致しました。
視線を落とすと、野の花に囲まれて真ん中に納まった濃いピンクの蕾の蓮が、経筒の緑青に清楚さを一層映えさせて心和ませてくれました。右脇床には観音様。
「天心は美術品を自分のためには収集しなかったが、同じ興福寺の千体仏をひとつ持っておられた」とのお話しを伺い、合掌しながら観音様に対う前客のお姿に安堵感をつのらせながら拝しました。
欠けた左手には何をお持ちになられていたのでしょうか?
席主の天心への心のこもった床の飾りに早くも温かい気持ちでいっぱいになりました。九年の間には、と、お正客様のお話によると「山から押し寄せてきた雲が、そのまま茶室を通り抜けていったときもあったとか。雲龍に乗って天心の魂が御礼に現れたに違いない。そして月の夜ではないが、霧の中、プリヤンヴァダ夫人の足音を、いや、プリヤンヴァダ夫人の詩を聞いていたのかも知れないと、三方開け放たれた高い和室に座して、はるか斑尾の連なる山々をぼんやり眺めながら、解放された頭で思い巡らせてしまいました。この地は不思議が不思議でない地なのだから。
替茶碗、蝶の絵の荘子。夢なのか、自分が蝶なのか、蝶が自分なのか、のご説明に、昨日見学した光悦作「不二山」は、離れて富士山と感じるのではなく、茶碗それ自身が富士山だったのかと思えてきました。
諏訪大社の参拝、サンリツ服部美術館見学、そしておいしかった昼食、私たちの満足の顔に「本番は明日ですよ」とお家元が一言。
その本番は、限られた時間でしたのに、なぜかゆったりとした長いときを過ごした様に感じました。細かく泡立てられたお抹茶ののど越しのなめらかな味わいに、これが本番なのだとうなづきました。
カテゴリー:行事・茶会 「妙高天心茶会バス旅行に参加して」のリンク