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2016年9月1日

家元句集 〝行雲流水〟を拝読して

森 宗恭(青森不白会)

 読み心地の良さ、心に残る句集でした。

  セーヌ河岸 夏満載の 船が往く

 一度も国外に出たことのない私でも、セーヌの流れを感じ、岸辺で川面を眺める私を感じることができました。
 心を揺さぶる句は、遠い昔へ誘ってくれるようです。

  くねくねと 酸ヶ湯を越えて 雪回廊

 「くねくね」の雪回廊の道、二メートルを越す雪の壁面
 十和田湖への北線が開く四月の一番バスが浅虫から出ます。春スキーの帰り、所々に水たまりのある、どこまでもくねくねと見通しの悪い道、ストックで雪の回廊に文字や絵を描いたり、かくれんぼをした遠い遠い昔をこの句に見つけました。

  湯ノ島は 亀の甲羅か 紅葉山

 浅虫は私の嫁ぎ先。裏の雨戸を開けると湯ノ島が見え、あの島を亀の甲羅と見るおもしろさ、春のわらび、カタクリの花、秋の紅葉は湯ノ島の定番の行事。
 亀の甲羅に季節の満艦飾を乗せてたゆとうている湯ノ島は、一服の絵のようでありました。
 *「行雲流水」とは、今年の春の茶会の月光殿に展示された、家元による七十点のスナップ句を集めた小冊子です。

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2015年6月24日

家元ご夫妻の尾瀬行きにお供して

金井宗美 松田清雪(群馬不白会)

 六月二十四日、すばらしい夏空にほっと胸を涼しい風が抜けてゆきます。尾瀬沼から下田代の道中、水芭蕉、延齢草、立山竜胆、小さな花々が迎えてくれます。レンゲツツジの咲く休憩所で、清水で入れたコーヒーを、木道の原をゆっくり三十分程で山小屋に到着。夕食はそれぞれ好きな飲み物で、おつかれ様でした。
 食堂は「尾瀬の四季」のビデオシアターですが、お家元が篠笛を吹いて下さるとのサプライズにミニコンサート場に早変わり。同宿の方々、従業員の方も一緒に静かな一時を過ごしました。
 七十代のご夫妻は、ご主人が五十年前にお泊まりになられたとのこと、やっと二人で来られてこんなすてきなサプライズに、今日のことは忘れることがないでしょうと感激されていました。朝もやの中で吹いてくださいと、お客様の所望に、二十五日早朝、霧立つ木道の演奏。散歩中の方々が集まって、朝のお茶一服に皆様それはそれは幸せな満ち足りた朝の始まりでした。
 しの笛に さそわれ茶の香 なほ豊に
 白い虹は見られませんでしたが、初夏らしい朝の湿原です。山小屋を後に中田代を花々に送られて一路鳩待峠に。
 陽を仰ぎ 立山りんどう清々し
 ガイドさんには、こんなゆっくりとご案内できたことははじめてと感謝をされました。お供できましたことに、感謝致します。(群馬不白会)

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2014年10月21日

お家元 塚原宗清さんをご訪問

生亀寿雪(山形不白会)

塚原さんを囲んで
 昨秋の十月二十一日、山形の「家元招請研究会」の際に、お家元と博之様が、塚原先生のおられる「ソーレ吉原」にお立ち寄り下さいました。
 先生は手押し車に手を添えて玄関で待っていて下さいました。玄関先での再会に、お二方とも満面の笑みを浮かべ、本当に嬉しそうでした。
 事務所の方々の計らいで広間に準備してくれたソファに座り、博之様を交えてお茶とお菓子をいただきながら、にこやかにお話をされていました。
 そして、お家元が先生のためにわざわざお持ちになった篠笛で、「ふる里」「月の砂漠」「赤とんぼ」を奏でてくださいました。先生がじっと耳を傾けて聞き入っておられる姿がとても印象的でした。
塚原宗清さんの「百歳の春」の作品

塚原宗清さんの「百歳の春」の作品

先生はひと言、「私の大好きな歌なの」と嬉しそうに、こっそり教えてくれました。穏やかな心洗われるうつくしい調べが館内に響き渡りました。
 三十分という制限された時間がすぐに来てしまい、お帰りになられるとき、お家元が「ちょっとお部屋にお邪魔してよろしいですか」と入ってこられました。そこで二年前にいただいた「めざして百歳」の色紙をご覧になり、「今度は『めざして百二十歳』と書かなくてはね」とおっしゃり、懐かしそうに、嬉しそうに眺めていかれました。
 お二人に至福のひと時をお過ごし戴けて本当に嬉しく思いました。(山形不白会)
塚原さんは「めざして百歳」の記事にも登場されています。

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2013年7月31日

高村光太郎の茶道観

石田宗洵(岩手不白会)

   詩集『道程』で芸術院賞を受けた高村光太郎は、その晴れやかな授賞に日の夜、内部に千利休を意識した「独居自炊」と題する侘びしさの漂う詩を書きました。私はこの詩に触発されて「高村光太郎覚書——茶道観と隠逸性を中心に」(盛岡大学日本文学科『東北文学の世界』第二十一号)をまとめてみました。
 戦災により岩手県の山村で「独居自炊」の生活を始めた光太郎は、この地に本阿弥光悦のような芸術村を夢見て、地域での講話に「茶について」を取りあげ、世界の人類に寄与する最も進んだ美と説きました。閑寂な中で精神を研ぎ澄まし、最上の美を見出すところにお茶があると考えていた光太郎は、美の本質を「比例均衡」にあるといい、茶を能面と同様に「節度」「含蓄性」の美しさを持つものと考えていました。山居で湧水を汲み、山の花を生け、湯を沸かして茶を点てている光太郎の「独居自炊」には、精神の自由を味わう生活者の姿がありました。
   

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2010年7月29日

日本の茶の湯について

Dr. Juergen Ploetz (ドクター ユルゲン・プレッツ)(ドイツ在住)

プレッツさん
ドクター ユルゲン プレッツ
 (連載「ドイツからの便り」No.4(『ひとゝき草108号』に登場したドクター ユルゲン プレッツから投稿がありました。野尻明子さんの翻訳とともに掲載します。)
 日本の茶の湯は、ドイツではほとんど知られていません。多くの人がこれについて聞いてはいるものの、その奥に何が隠されているか、また、Teezeremonie がどのような意味を持つのか、知る人はご く僅かです。私達ヨーロッパ人が茶の湯の表現に用いている、ドイツ語のTee-"Zeremonie" 、英語の Tea ceremony そして、 フランス語の Cérémonie du thé  という概念が、既にヨーロッパにおける知識の欠如を示しています。そして、この表現の表面的な第一印象は、「儀式」あるいは「厳格に規則付けられた飲茶」です。
 精神的な道としての茶の湯の理解を持たない私達が初めて茶の湯に接するとき、(予想に反して)率直さと思いやりが求められます。そして、普段と異なる立場、目新しい茶室の様子、制限された空間での動きや仕草が私達を最初不安にします。しかし、この不安は、同時に日常的に習慣化している態度や動作の型から私達を解放してくれるもので、不安を克服すると、私達は、より思いやり深くなり、同時に精神的な安らぎを与えられます。思いやりと落ち着いた静寂、という茶の湯の本質的な特徴は、私にとって茶の湯の初めであり、これからもたびたび私をヴュルツブルクでの茶の湯へ導いてくれるでしょう。

(原文)
Die japanische Cha no Yu ist in Deutschland kaum bekannt. Zwar haben viele davon gehört, doch was sich genau dahinter verbirgt und was die Teezeremonie ausmacht, wissen die wenigsten. Die Unkenntnis in Deutschland bzw. in Europa zeigt schon der Begriff, den wir Europäer für die japanische Cha no Yu verwenden, nämlich Tee-"Zeremonie" (engl. Tea ceremony, franz. Cérémonie du thé etc.). Der erste, oberflächliche Eindruck ist in Deutschland der Rituals oder eines streng geregelten Teetrinkens. Das Verständnis der Cha no Yu als Weg, insbesondere als geistiger Weg, ist erst einmal nicht vorhanden. Daher verlangt die erstmalige Teilnahme an der Cha no Yu Offenheit und große Aufmerksamkeit von uns. Bei der ersten Teilnahme sind wir stark verunsichert, da wir uns in einer ungewohnten Situation und einer neuen Umgebung (Teehaus) befinden und uns nicht so frei wie gewohnt bewegen und verhalten können. Diese Unsicherheit ist aber gleichzeitig sehr befreiend. Sie befreit uns von unseren täglichen und alltäglichen Handlungs- und Bewegungsmustern. Sie lässt uns darüber hinaus aufmerksamer werden und beruhigt gleichzeitig den Geist. Aufmerksamkeit (Ichigo Ichie) und Stille (Jaku) sind die beiden Wesenszüge der Cha no Yu, die für mich am Anfang stehen und die mich immer öfter zur Cha no Yu in Würzburg führen.
Jürgen Plötz

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2009年3月19日

常陽芸文センター講座「茶の湯の稽古の変遷」

川上宗康氏講義

講師写真
講義をする川上宗康氏

 去る三月十七日、水戸市月例の芸文学苑「茶の湯と周辺の文化」講座に、川上宗康氏が招かれ、茶の湯と稽古のあり様の歴史的変遷をテーマとする講義があった。参会者は会員制で、各流で茶道の稽古に励む方々、日本の文化史に関心を持つ方と幅広い。
 宗康氏は、茶の湯の歴史を、江戸初期の光悦、宗旦の時代の茶の湯。江戸時代前期。覚々斎、如心斎、不白が活躍した江戸時代後半期。そして明治時代以降の茶に分けられ、各時代の資料を用い、話を進められた。
 先人のやり方を取り入れながらも、茶事交流を通して「見様見真似」を活かした各個人工夫の茶。接待茶の湯という必要不可欠の茶。型の稽古を重要視、先行させる稽古茶。明治時代以降の流派別組織化と統一性を重んじる茶道、と話は展開された。数寄者、茶の湯者についても触れ、茶の湯を楽しむことと稽古を目的とすることとは異なるが、時代に対応しながらも、茶の湯そのものは変わっていないのではないでしょうか、と結ばれた。

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