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2012年11月17日

家元による茶事の研究会

研究会会場
 宗匠よりいただきました「しのばずの 桜並木は紅葉いろ」で始まる研修当日の「新潟出張スナップ(句集)」は、新幹線の車窓から刻々と変わりゆく冬景色の様子、そして「…やがて雲低き都会(まち)新潟」とあります。
 私の自宅近くに日本最大の亜種オオヒシクイの越冬地「福島潟」が有り、既にオオヒシクイ二千四百羽、コハクチョウ三千四百羽が記録されていました。研修会場「燕喜館」はそうした〈雲低き新潟〉の中心街に隣接する白山公園内に、明治から昭和にかけ活躍された斎藤家邸宅を平成九年移築再建したもので、会場の「奥座敷」は、三つの広間からなる四十畳。メーンは紫壇、黒壇などを使った床を擁する「三の間」。研修は、今年のテーマである相伝物から「茶通箱」。宗匠が会場のお床、棚等の設えを点検され、水屋でお持たせのお茶入に自ら茶を掃き準備されるなど、普段お目にかかれない所作の一端を垣間見ることができました。
 研修前の緊張感を和らげる優しい気功を交えた体操を終え、いよいよ本番です。
 宗匠自らご亭主を務められ、初座のお床には、流祖不白が喜寿に書かれた力強い「鐡團圝」のお軸が掛けられ凛とした緊張感が走る。
一献
 宗匠の流れるようなお炭点前と見事な景色、ほんのりとした香の漂う雰囲気に何時しか心なごみ、続いて運ばれた八寸に盛られた山海の珍味と地酒。宗匠の気さくなお話とお酒で暫し舞台に居ることをも忘れ、こんなに飲んでいいのかしらとふと我に返ったこと。
 銅鑼のお鳴り物で後座が始まり、お床にはジャノメ木の花入れに椿と照り葉。
宗匠のゆったりとした服紗裁き、お茶碗を温める所作のやさしさ、たっぷりと点てられた芳潤なお濃茶のおいしさ……。この度の研修で一番の収穫は「おもてなしの心」を身を以って体験できたことです。
宗匠の流れるような所作と、美味しく頂いた二碗それぞれの個性あるお濃茶。ご一緒した方が「もう二度と頂けない」とおっしゃった感動の言葉は決して演技ではありませんでした。客に少しも違和感を感じさせない宗匠の心配りに、ふと研修中であることを忘れ至福のひと時を過ごさせて頂きました。
 亭主が如何に客を和ませ豊かな気持ちにさせることができるか。それは温かい包容力のある自然な〈気くばり〉がどこまでできるか、客も又その心をしっかりと受け止め感動する感性をもった人間性が問われているように思いました。将に「啐啄」の精神そのものと肝に銘じた貴重な経験をさせて頂きました。
掛軸

    ◇   ◇   ◇
 《研修後雑感》
 この度の燕喜館での研修で、少し気なっていたことですが「流祖不白」が書かれた「鐡團圝」についてです。なぜこの言葉を喜寿(寛政七年・一七九五)に書かれたのでしょう。
禅僧は、十年毎に遺偈をそれとなく残すといいます。寛政二年良寛(三十三歳)は、備中玉島の円通寺での十一年に及ぶ厳しい禅の修行を終え諸国を行脚し、寛政九年頃国上の五合庵に住むわけですが、その頃「流祖不白」は七十二歳位ですから同時代を生きた人として因縁めいたものを感じてします。その良寛が偈に相当する次のような漢詩があります。「回首す 五十有余年 是非得失 一夢の中……」「閃電光裏 六十年 世上の栄枯 雲の往還……燈火明滅す 古窓の前」「回首す 七十有余年 人間の是非 看破するに飽く……一炷の線香 古匆の下」と自らの命を「夢」から「燈火」に、そして更に細い「線香」に。限りなく「無」に帰すと。
 「鐡團圝」を「禅学大辞典」では、「分別の歯の立たぬもの。堅固にして円かなこと。また、没巴鼻。「見成公案、大難大難、百雑砕(ひゃくざつさい)、鐡團圝、和レ風塔二 在玉闌干一」(虚堂碌1)]とあり、臨済宗では特に重んぜられる語録の一つ虚堂(きどう)碌(虚堂和尚語録十巻)に出てきます。人智では、何ともし難い自然の法則、全ては無に帰す、悟りの境地。江戸時代の末期という歯止めの利かない胎動とも言うべき大きな時代のうねりの中で、真に大切なものが失われて行くことに危機感を感じての激文ともいうべき想いを、喜寿の今この「鐡團圝」という言葉に託されたのでは……。「燕喜館(研修会場)」の大きな床に喜寿とは思えない堂々たる気迫に満ちた「鐡團圝」の書は、私たちに何を捨て何を伝えて行くべきかを訴えて居られるように思えてなりません。
 時代が変わっても人間の本質的な心情は変わらない。先取り・スピードの時代と情報が氾濫し、目先の現象のみに振り回され右往左往してしまっては、身も心も疲弊し自らを失ってしまう。一瞬の内にすべてを失った3.11のあの大災害を、私を含め多くの人達はテレビのドラマを見ているような錯覚を覚え、一瞬思考が停止した状態になったことを今更ながら思い出します。真の苦しみはそれを経験した人にしか分からないけれども、相手の心情を少しでも思いやるやさしい「気くばり」「心くばり」を忘れないようにしたい。古来のお稽古ごとは、人間としての大切な感性を呼び戻し磨き、そして何よりも自然の恵みに感謝し共生して行く智恵を学ぶことができる。その基本を大切に伝承する重要な役割を担っているものと思います。

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