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■ドイツからの便り No.5■

●「茶の湯」と「茶道」●

野尻 明子 (ドイツ在住)
合気道道場での茶の湯紹介
Buchschwabachという町の合気道道場での茶の湯の紹介(2009.6.13)

  二〇〇二年三月にお茶をドイツ人に紹介することを思い立った時、「茶の湯」と「茶道」のどちらの言葉を使うべきか、大変迷いました。そして、心の籠る、生き生きとした交流を願って、道徳的な面を強調する「茶道」でなく、「茶の湯」を選びました。
 また、「茶道」の読み方も、あるドイツ人に質問されたのがきっかけとなって、初めて真剣に「さどう」がよいのか、「茶頭」と区別するために発案された読み方「ちゃどう」がよいのか、様々な本を読み直して考えてみました。日本でお茶を学び、教えていらっしゃる方たちは、このことばをどのように使っていらっしゃるでしょうか。
 私は〈お茶の儀式〉を意味する〈Teezeremonie〉ということばが好きではないので、必要な時以外は使わないようにしていますが、お茶を外国で儀式のように黙々と示す日本人が多いのも事実です。儀式としてのお茶にも意味がありますが、人間性を失いつつある現代社会で自立し、個人の自覚を持って生きている人々(日本人、外国人を問わず)に意味を持ち得るのは、創意工夫と暖かい誠意に満ちた、人格の触れ合いのあるお茶だと思います。

茶の湯紹介風景2
空手五段の先生、ランディックさん
初めてのお点前

 育児休暇が子ども一人当たり三年間取れるドイツでは、最年少の子どもが幼稚園に入った時点で大抵の女性が職場に復帰し、更に幼稚園・学校、教会や地域活動にも積極的でかなり多忙ですが、日本の主婦よりも頻繁に友人・知人をコーヒーに招待し、手作りのケーキでもてなします。
 茶の湯がドイツ人のコーヒータイムにない魅力と深みを示せるのは、創意工夫、親愛と誠意が、単なる思い付きや情緒的なものでなく、稽古によって初めて実現される美しい構成と落ち着きを持っているからだと思います。

稽古風景3
道場での茶の湯の指導

 江戸っ子だった私の祖母は、九人の子ども達と病気の母親を抱えながらも、家事の合間に近所の人達と一杯のお茶を飲みながら語らい、お付き合いの手入れをすることを最後まで日常としていましたが、私の母の世代からはそれが難しくなり、現在の多くの日本人は、消極的な孤立の不安の中で生きているように見えます。
 ドイツで茶の湯の紹介に励む私の夢は、多くの方々が想像するように「ドイツ支部を設立すること」ではなく、茶の湯が故郷の日本で再び真価を発揮できるようなあり方を見出し、深い知恵に基づいた平和と自由な精神の素晴らしさを世界に発信してゆけるようになることです。

【バックナンバー】
■ドイツからの便り No.1「ドイツ人に茶の湯を紹介する」
■ドイツからの便り No.2「Teezeremonie〈茶の湯〉のイメージ」
■ドイツからの便り No.3「ドイツで【尺八と茶の湯】」
■ドイツからの便り No.4「ドイツで生きている〈お茶の心〉」


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