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七戸・青森不白会七十周年

平成二十九年十月十五日(日)
於 青森市 ホテル青森

七十周年を迎え、支部の生い立ちを振り返る

盛田宗彰(七戸不白会支部長)
津田宗禮(青森不白会支部長)

 東八甲田のふもと、三沢空港から北西に四十分ほどのところの町、七戸。近年、東北新幹線七戸十和田駅ができました。青森の江戸千家の茶の湯は、この地から始まりました。
 七戸には四百数十年前に創建された祥雲山瑞龍寺という曹洞宗の名刹があり、この寺のご本尊製作の依頼を受けたのが、彫刻家の佐藤光重先生でした。昭和二十年三月十日東京大空襲により、住まいや、完成間近の仏像も失い、当地で製作なさるため、奥様同道で瑞龍寺に移られました。
 のちに二代目支部長になった盛田達三(盛田支部長の父)は、瑞龍寺に度々出かけ、奥様の富雪先生が江戸千家八代家元顧問であることを知り、「この機会にお茶を教えていただきたい」とお願い致しました。その折に何人かお寺に集まってお稽古を始めたのが支部の始まりでした。四代目支部長岩崎宗蓬先生も十和田の市ノ渡先生もその中のお一人でした。五代目支部長の木立先生も七戸でお稽古されたそうです。
 当時は、物資が不足がちでしたので、光重先生が、棗・茶杓・香合などから竹台子などのお棚に至るまでお手作り下さいました。お菓子も藤の実や、大豆を炒ったり、おかきを焼いたり、皆で工夫したものを持ち寄っておりました。
 佐藤先生ご夫妻は、釈迦三尊像及び丈六の聖観音像完成と共に、昭和ニ十六年離七(帰京)なさいました。その後も盛田宅でお稽古を続け、人数も増え、盛田宗緑(支部長母)が初代支部長となりましたが、昭和三十六年急逝のあとには達三が二代目となりました。

家元襲名後の披露目の集い
  昭和四十年か四十一年頃か
  盛田家菩提寺 青岩寺(七戸町)にて写す

 その後、岩崎宗蓬先生がご主人の転勤で十和田市を経て青森に移り、会員も徐々に増えたことから青森県支部を青森市に移し、石田宗白先生が三代目支部長となりました。石田支部長は、病院経営の多忙なお体にも関わらず、奥様の香雪先生と共に傘寿を過ぎても全国不白会名誉理事そして青森支部の最高顧問としてまとめ役になってくださいました。
 四代目支部長の岩崎宗蓬先生は、七戸での最初の集いの頃から一昨年百年の生涯を閉じられるまで、この道一筋に精進を続けられ、その円満なお人柄で皆を包容して会のために尽くして下さいました。
 その間には、家元のお勧めにより、青森と七戸との二つの支部となり、協力して家元招請研究会や宗康先生、博子先生(現雲鶴先生)の勉強会を開催してまいりました。
 青森不白会・七戸不白会の今日あるのは、ひとえに歴代支部長のお茶を愛する心、そして家元はじめ、蓮鶴先生そして、諸先生方の懇切丁寧なご指導の賜物と感謝申し上げます。これからも会員一同、心を一つにして創立八十周年を迎えられるよう努力してまいります。

家元による記念講演 「縁」

盛田稔様 盛田宗彰支部長ご夫妻を囲んで

七戸不白会席 竹の間 主:盛田宗蛍

青森不白会席 鶴の間 主:柿崎宗恵

津田青森支部長の挨拶

七十周年を寿ぐ ― 式典と茶会

工藤宗幸(青森不白会)

 青森市長様、家元ご一家、東京・岩手各不白会の会長、副会長様のご臨席をいただき、晴れやかに式典をあげることができました。お二人合わせて二百歳という、七十年間の歴史をよくご存じの七戸盛田会長御夫妻も大変お健やかで、一同心から祝福の気持ちでした。
 家元は、持参された棟方志功作の陶板「青不動」を掛け、「縁」という題でご講演くださいました。お父上、先代家元のお話も出、昨年の五月に全国役員会で新宮に行き流祖の生誕の地の様々な風景や石碑等を拝見してきたことを思い出しました。その時より十代、新宮から遥か遠く離れた七戸青森まで茶の湯という縁が綿々と続いている、なんともいえない時の流れ、歴史を感じました。さらにこの縁を、後に続く人達に伝えていきたいものと思いました。
 祝宴では、東京並びに岩手不白会支部長からのお話をいただいたあと、「七十年のあゆみ」と題しスライド上映が行われ、歴史を振り返る貴重な映像を見ながら七十年という長き足跡を振り返りました。
 記念茶会は、七戸と青森の二席が設けられ、来賓も含む百四十人近い参加者が入席し和やかな時を過ごされていました。   

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