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第十二回 天心忌茶会

平成二十七年九月二日(水)
茨城大学五浦美術文化研究所
天心旧居

六角堂
供茶式

六角堂供茶
床  天心肉筆の手紙 興福寺千体仏
供花 一輪ざしに 天人草
供茶 柿天目に 星峰

 第十二回江戸千家天心忌茶会は九月二日、念願だった茨城県五浦で、茨城大学五浦美術文化研究所との共催で行なわれた。明治三十六年五月、飛田周山の案内で五浦を訪れた天心は、殊の外この地が気に入り、その二年後には六角堂をかまえている。冬はボストン美術館に勤務し、夏は五浦の海に遊ぶ。ここ五浦の地は、当時にしては希有なる、国際的活躍の拠点だったと伝えられている。
 鬱蒼と続く松林と、太平洋の怒涛が砕け散る岩礁に建つ六角堂。アジアの文化を集約したと言われる六角堂に籠り、天心はここで瞑想に耽りかつ新たなる思想の発信地とした。

 この日、六角堂において献茶式が行われた。眼下に広がる太平洋。法隆寺の夢殿にも見立てたという六角堂に入ると、崖を伝って海から吹き上げて来る海風がガラス戸を揺るがし、静謐、寂寞感にはほど遠い空間の中での瞑想はいかばかりだったかと、遠い明治の御代に思いを馳せたものだ。家元はスナップ句で、

  海風と怒涛響くや堂の中 旧主あるじはここで何考えし

 と詠んでいる。

 天心旧居の家元席では、茶会に先立ち海幸山幸、地元銘酒「副将軍」で一献振舞われる。
 茶席の道具立ては、旅の趣向で大ぶりの茶篭点前が披露された。広縁を通して大海原が広がり、渡り来る風に身を委ねれば、穏やかな時が流れ、家元がいつしか天心先生のお姿に見えてくる。
 天心は著書『茶の本』の中で、 「午後の陽光は竹林を照らし、泉はよろこびに泡立ち、松籟はわが茶釜に聞こえる。はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか」と書く。
 茨城不白会のしつらえは、青い松林の続くその先にはベンガラ彩色の六角堂。白波砕け散る太平洋を眼下にする壮大なパノラマ望見の茶席だった。床は名心庵筆「雲の峰」。松と波を取り入れた道具組みに「くず焼」の名菓も格別だった。通された茶室には名香が聞こえ、さすがは茨城席と感動抑えきれないものがあった。
 百二十名に及ぶ今年の天心忌茶会には、親睦旅行を兼ね東京不白会から八十余名の会員がバス二台を連ねて参加した。前夜の懇親会では、茨城大学社会連携センター清水恵美子先生に「岡倉天心と五浦」をテーマにご講演いただいた。
 初めてお伺いするエピソードなども諸処に取り入れた興味深いお話は、私たちの心を更に惹きつけ、これまで以上に深く天心先生の魅力に触れ、身近に感じたものである。
 また茶会では、五浦日本美術院岡倉天心偉績顕彰会の皆さまにご参加いただき、親しく交流できたことは大きな喜びであった。
(落合文雪)

本席

本席 天心旧居

天心旧居

【会 記】

  六角堂  供茶
     江戸千家 川上宗雪

床 天心の手紙 黒川真頼宛て 
   「國華」創刊号のこと
    興福寺 千体佛

  天心旧居
 一献   海のもの 山のもの

床 孤峰不白筆 
   画賛「白浪漲天」
   花  尾花 秋明菊 赤水引
      吾亦紅
   花入 宗全篭  池田瓢阿作
 茶籠 時代 籐組     
   香合 堆朱 立布袋  明時代
   振出 朝鮮唐津 益田紅艶旧蔵
   棗  桑中次 木賊蒔絵
           芳村白酔庵箱
   茶碗 乾山作 松画賛
    替 黄瀬戸   原 憲司作
    〃 織部  北大路魯山人作
   茶杓 名心庵作 銘 磨墨するすみ
    茶筌筒 時代 桐木地
    茶巾筒 象牙 彫 猿公
   御茶 星峰 八女 星野製茶園
   菓子 空也双紙  銀座 空也
    器 青磁 中皿 竜泉窯

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