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喫茶往来


 宗雪宗匠の茶の湯交遊録を紹介します。

二月月釜

 雨水 移ろい行く春の日永、街中に静寂な佇まいを眼前にして露地の苔と打ち水に凛として清々しい気配を感じた次第です。
 息遣いが聴こえる宗易の消息文に使い込まれてきた茶碗、説明を伺いながら、普段、茶会で見かける丁寧に守られてきた道具より、実際を拝見したようで、誰もが嗜む茶の間にある今の茶の空間に、足らざるものが何なのか、一端を垣間見た思いがあります。言葉が一人歩きしている様に度々感じるお茶の〝世界〟ですが、本来は垣根は無いのではと昨今思う様になりました。
 何事でも行なった者にしかわかり得ない事、多々ですが、行なわない者にて行なわずして語る現在が在ります。
 枝葉の茶事の積み重ねが、一大事の行いなのでしょうか。情報過多の現在地にあっては、 アナログが置き捨てられて行く寂しさがあります。
 喫茶去、今一度、振り返ってお茶の暮らしに向き合おうと思わさせてくれた貴重な一刻でした。後日わが家の粗茶一服差し上げる機会を設けたく存じます。遠路九州の田舎へ足を運んでいただければ望外の喜びです。
 春日の中、重ね重ね相伴させていただき有り難うございました。
               合掌
 二月十九日       藤丸正一

不徹斎宗匠喜寿のお茶事

(三月二十二日)
 早くも桜花散り始めの侯と成りました。
 過日には、御多用中を遠路はるばる御入来、誠にうれしく存じました。十分のおもてなしも叶わず、恐縮しております。又早々の御文も拝読。重ねての恐縮でした。今少しの御自愛を。
                             不一
 三月三十一日                     千宗守

カリフォルニアから

 前略 先だっては大変お世話になり、誠にありがとうございました。夫婦共々一生涯忘れることのない夢のような時間を過ごさせていただきました。奥様の即興のお料理は、とても美味しい事然り、お心遣いの有り難さを五臓六腑に感じました。また、一円庵の床に大川先生のお軸を掛けてくださり、ご案内いただきました事も感無量でございました。
 心より御礼を申し上げます。 
    四月七日                  デビッド&明子

薩摩国から

 拝啓 錦江湾にたなびく春の霞、鹿児島市内は甲突川沿いの桜並木が漸く見頃を迎えました。爛漫たる薩摩国よりお便り申し上げます。
 先日は大変御多忙の折り、遠路はるばるお出掛け下さいまして誠に有り難うございました。宗匠を薩摩国にてお迎えできましたこと、心より嬉しく、朋友平野君を加えた三人旅、そして尾前夫妻に袴田君とも知り合え、忘れ難き思い出となりました。南九州の雄大な自然と歴史を身近に感じていただきつつ、海の幸に山の幸、地元の畑と農場からの豊かな食材で彩られた郷土料理、二種類の異なる源泉で日々の疲れを癒やしていただく趣向。少しでもお楽しみいただけたならば幸いです。
 じきに花は散り青葉爽やかな時節。変わり目に体調など崩されませんよう御自愛くださいませ。
                              敬具
 四月八日                       水口剛志

四月の月釜

拝啓 惜春の候 いよいよ御清祥のこととお慶び申し上げます。本日は大変結構な御茶を賜りありがとうございました。家元のさりげない御配慮に緊張も解かれ夢の様な御茶事を堪能させて頂きました。奥様お手ずからの御料理は美しく美味しゅうございました。本来の茶事の在り方を学ばせて頂きました。
 来年の花開落最中に僭越ではございますが、喫茶往来が叶いますなら望外の幸せに存じます。去り難い思いに時間を忘れ、つい長居を致しまして、御迷惑をお掛けして申し訳なく存じます。 御家族の皆様からお心尽くしのおもてなしを賜り厚く御礼申し上げます。どうぞお疲れの出ません様、爽やかな好季節、益々の御発展をお祈り申し上げます。
               敬具
 四月十二日       宍倉洋雪

近衛三藐院 花の文

雛の集い

 三月六日、渡部宗恵さんのお宅に土曜日の稽古仲間が招かれました。江守雅雪さん、星光雪さん、中野宗英さんと私の四人でした。そこへ家元が笛を携えて登場。御主人の渡部清先生は書道研究家で、家元とは旧知の間柄。ご夫妻の手料理でもてなして下さり、皆ワインやお酒ですっかり上機嫌でした。
 二階の床の間には背丈ほどの立派な七段飾りのお雛さまが設えてありました。家元が笛を吹き、私達五人官女はお茶遊びを楽しみました。渡部先生が後陽成院のお軸をかけて丁寧にお教え下さいました。美味しいお菓子とお茶、皆で記念写真を撮りました。

  篠笛も雛の宴に加わりて

 あの日からまもない五月二十八日、江守雅雪(雅美)さんは亡くなられました。
 私と雅美さんはお茶を通して四十年近くのおつき合いになります。私が自宅の茶室を作る際、お義父様の江守奈比古先生のお伴でいらした春の日が初めての出合い。その後、銀座空也の山口有雪先生に入門して、雅美さんと再会しました。師の可雪先生が亡くなられ数年後、茶の湯を続けたいという思いで、二人で家元にお願いにあがったのが還暦の歳。同じ歳でもあり意気投合して、お茶の楽しさ豊かさを共に味わってきました。目の前には全く異なった世界が拡がっていくのを感じてきました。お稽古、茶会、展覧会、旅行にと常にご一緒でした。思い出は尽きることがありません。
 奈比古先生亡き後も、あの藤沢の花外亭でのお茶の集い「喫茶往来」を忘れることはありません。御冥福をお祈り申し上げます。

  蓮華より牡丹の似合う友逝けり

                          平櫛京雪

軽井沢 粟津一家

 風薫五月、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。御丁寧なお手紙に恐縮しております。こちらこそ今回もすっかりお言葉に甘えさせていただきましてありがとうございました。
 美しい篠笛の調べやお茶の世界に、娘たちも心から感激しておりました。貴重な体験の場を提供して下さり、本当にありがとうございました。お帰りの折りには留守にしておりまして失礼いたしました。夏の頃、またお目に掛かれる機会を楽しみにしております。 
 五月三日                   粟津敬雄 幹子

五月の月釜 

謹啓 今日の新宿は風薫るあたたかな一日となりそうです。さて、先日は素晴らしき月釜にお招き頂きまして、ありがとうございました。
 当日は赤沼先生と二人でとても楽しい一時を過ごさせて頂きました。寄付で家元にお迎えいただきとても嬉しかったですし、露地の見事なる地苔の美しさと鳥のさえずりに心が洗われました。本席に入り政宗公の消息と青梅に驚嘆しかぐわしき御香を楽しみ、待ち望んでいた点心席へ。
 今回も奥様のお手料理を楽しみにしておりました。多分、塩加減が私の好みと合っていて、それぞれのお選びいただいた食材の素晴らしさとあいまって最高の品々になるのだと思いました。蛤、昆布締、天豆、お酒との相性も抜群で、お酒がすすみました。また煮物も絶品で黒ゴマ豆腐のこくと甘味にうなりました。
 大好物の豆ご飯も美味しかったです。まさに口福でした。越後屋さんのお菓子も美味しく頂きました。そしていよいよ本席へ。
 槍の鞘の花入に大山蓮華と野草一輪、心が動きました。赤沼先生もおっしゃっていましたが、 長次郎の苔衣と半泥子の白のお取り合わせも素敵でした。濃茶の宗哲棗と護煕先生の小壷薄茶器も素晴らしかったです。道安の杓もわびた風情が良かったです。何より頂いた御茶が本当に美味しかったです。濃茶も薄茶もさすがでございました。
 御家族皆様でのお心のこもったおもてなしを頂きまして、本当にありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。どうぞお気を付けてお過ごし下さいませ。またお目にかかれる日を楽しみにしています。
                  謹白
 五月十二日         安田尚史拝

父の最期

 実家の建替えを機に、茶室を造った。私と弟は、学生時代から江戸千家にお世話になっている。父は、子ども達が学んでいて自分も仲間に入りたかったのか、七十の手習いで、第二教場に通うことになった。
 父の傘寿の祝いにと両親を家元の月釜に招待して頂いた。あれから父は、コロナを機にお稽古を休むようになり、少しずつスローダウンしていった。そんな中、終の棲家で父とお茶ができたらと、新居に水屋洞庫付の四畳半を設えた。昨年末、念願の茶室開きで、簡素な自宅の茶に、家元ご夫妻のお出ましが叶った。
 その後、父は寝たきりの日が続き、三月初め、眠るように八十四歳で人生の幕を閉じた。最期は水を欲しがった。亡き骸は病院から自宅に帰り、「末期の水」という儀式と「極楽」蝶の切り絵を家族で作って柩に納め、お別れをした。
 振り返ると、父は最後まで何か学ぼうとしていた。茶の湯を学ぶこと。父が残してくれた茶室。それを胸に刻んでこれからも稽古に励んでいきたい。
         濱田宗穂


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