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■水屋日記 第6回

AIと茶の湯

川上博之

 茶の湯のコラムでこのテーマは戸惑う人も多いとは思いますが、最近、AIの話題というのが盛り上がっています。まだ自分には関係ないように感じる人も多いと思いますが、既に片鱗は多くの人が日常的に経験しています。ネット上で検索をすれば関連がありそうな単語を予測して出してくれますし、何か購入すれば一緒に欲しそうな商品も自動的に勧めてきます(私に茶道教室の広告を出してくるあたりまだまだですが)。
 さて、一説によると将来的には多くの仕事がAIに取って代られるだろうとも言われています。今後、茶人の営みもいつかはAIに取って代られるのでしょうか?
 一定の規則性のある事、例えば作法や点前の教科書的な指導(「そこは右手、次に左手を出して……」といった指導)や、茶席の道具組みを基本通りに考えるだけならば、これはAIの得意分野だろうと思います。
 より感覚的な話まで踏み込むのは現状のAIは苦手でしょうか。例えばより格好良く見える点前とはどのような動きなのかという見識や、驚きや意外性のある取り合わせ、好みの茶道具製作など。

本日、庭でホトトギスの声を聞きました。これも今の時代はネットで検索すればいくらでも聞く事ができますが、本物を聞いた感動はまた別物です。

 しかしAIは現在すでに作曲や描画、営業にまで踏み込んできているそうですから、学習を重ねていけばいつかこれらもできるようになるかもしれません。ではそうなったら全ての茶人はAIで代替できてしまうのでしょうか?
 私は茶人の営みはAIによって完全に取って代わられる事は無いと考えます。なぜなら、人にやって欲しいと思われている事が、茶の湯の中にはかなり多くあると感じているからです(茶の湯以外にも言えるでしょう)。
 ちょっと話がそれますが、今年初めに多くの人が声援を送ったオリンピック……我々が選手の活躍を見て感動するのは、人がプレーしているからではないでしょうか。機械の方が高いパフォーマンスを発揮できる種目はそれなりにありそうです。では機械が人間より速く動いたり、重い物を持ち上げたり、遠くにボールを飛ばしたりできるからといって、オリンピックは人間ではなく機械が競技する大会になるでしょうか? これはほぼ間違いなくNOでしょう。
 当たり前だと言われそうですが、これは人間がやる行為に意味を感じる人がかなり多いからだと考えます(もちろん車やロボットのレースも人気があります。人間と機械は同じ事をしても住み分けられる分野がありそうです)。
 茶の湯に目を戻してみましょう。茶事に行くというのは、人に会いに行く行為でもあります。皆で炉を囲み、飲食や会話を楽しみ、仲間が点てた茶を喫する……茶の湯において「人と人の交わり」は中心的要素です。そういった茶を求める人たちにとっては、仮に機械によって最高のタイミングで食事が出て、その後とても美味しいお茶が飲める「だけ」の茶事があったとしても、魅力は低いのではないでしょうか。
 個人的には、機械同士の競技……ロボコンやF1(人が運転していますが)も楽しいと思いますし、AIによる茶事が実現されるなら興味があります。ですがロボコンとオリンピックが別物であるように、AIの茶がもし完成してもそれは人の作り上げる茶の湯とは共存ができるものと私は予想します。
 ただし、もし我々が作法やルールにしばられるような茶ばかりに走ってしまうならば、それはAIでかなり代替できてしまいそうですから、とても危ないかもしれません。

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