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■水屋日記 第5回

卯花墻

川上博之

 昨年、東京国立博物館で特別展「茶の湯」が、京都国立博物館で「国宝」が開かれていたので行かれた方も多いと思います。その際にもし志野の名碗「卯花墻」のまわりを延々と行き来しながらメモを取り続ける男性がいたら、それは私だったかもしれません。皆様それぞれ好きな茶碗があるかもしれませんが、私もそんな茶碗がこの世に数碗あります。その一つが卯花墻です。
 まだ学生だった時分の話ですが、最初にこれぞと思えた茶碗というと長次郎の黒楽か何かだったような気がします。瀬戸黒、黒織部、唐津、信楽や伊賀、高麗……好きな器は増えていきましたが、どうも志野ではこれだと惹かれる茶碗にまだ出会えていない時期がありました(卯花墻も写真では拝見した事があったのですが)。
 そんな中、ある日美術館で見た卯花墻に心を奪われました。写真では平たい造形に見えたそれとは全く違う立体感のある器形。薄く赤みのかかった暖かい釉調の白。口縁に発色した赤茶。決して大ぶりではない器から発する大きな存在感……その全てに惹かれました。
 話は昨年、特別展「茶の湯」開始前日まで飛びます。その日の午前中はマスコミ向けの公開がされ、機関誌『ひととき草』や『池の端』の関係で私もいました。その時だけは写真を撮ることができるという事でした。器だけの撮影は禁止で、見ている人が必ず写っていなければいけないという規則でしたが、それでも自分の好きな角度で名品を撮影できました。
 しかし時間は限られています。前半を撮った所で時間切れ。出口へ向かわなくてはならなくなりました。後半に並んでいる茶道具を横目に歩いて行くと、そこに卯花墻を見つけてしまいます。撮影できなかったのがとても心残りとなりました。写真よりも実物を見る事の方が大切とは承知の上ですが、それでもタイミングを逃したこの事がきっかけとなり、私は卯花墻にちょっとした執着のような想いを抱くようになりました。
 話はまた飛び、京都での特別展「国宝」を見に行った時の事です。この展示にも卯花墻が出てきていました。今度は通常の客として行っていますので、写真はもちろん撮影できません。また「スケッチ(絵)は禁止、メモ(文)は良い」という規則があるそうです。
 そこで私は後で描けるくらいに目に焼き付けつつメモをする事にしました。卯花墻の所は幸運にも混んでいません。
 実は毎年一度くらいは美術館に出てくる卯花墻ですが、大抵は正面からしか見られない展示方法になっています。しかしこの時は部屋の中央に置かれ、一周どこからでも見る事ができました。
 四方から絵にできれば早いのですが、規則は仕方ないので、出来るだけ言葉で細かく描写します。結局後で時計を見ると二時間近く卯花墻を見ていたようです。その間、卯花墻を見て感想を口にしていく人もたくさんいました。「素晴らしいなあ」と言う人から、「え? こんなのが国宝なの? 歪んでて下手じゃん! わけがわからないな……」という人。多様な声が聞こえて、これも面白かったです。
 メモを完成させた後すぐに美術館を出て、記憶が鮮やかな内に急いで絵に直したものが左の絵です。

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