待ち遠しかった春の候が訪れた二月も終わる二十七日、名心宗匠から月釜にお招き頂きました。思いがけない事で大変嬉しゅうございました。
この日は千利休の御命日を翌日に控え、しかも一日一席だけでゆっくりという特別なお招きでした。落合先生、この度東京茶道会理事に就任された長井先生、内山先生の三人と私というメンバーでした。
露地のうち水と暖かい陽光に包まれゆっくりと腰かけ待合で過ごし一円庵へご案内いただきました。躙り入るとまず目に入ってきたのが正面床の利休の消息、そのもとに置かれた祖父田中制作の利休居士像でした。この度の家元御襲名への御祝いとしてお納めした利休像でした。
ご所蔵の利休の消息は、名心宗匠のご説明によれば、極く少ない利休の真筆の一つで大事にお持ちになっていられるものでした。
そのようなお軸を掛けられ、祖父の利休像をお置き下さり、そのお披露目のお茶事にお招きくださった事とわかり大変感激致しました。実は私は利休像をお納めしたいという気持ちはありながらも大変迷っていました。
利休の真筆を拝見して以来、これをお持ちなら利休の像などは必要無いのではという思いが強くありました。その気持ちに少し変化が起こったのが十年近く前に名心宗匠とご一緒に「或る会社」がお持ちになっていた祖父の利休像を見に行った時の事でした。名心宗匠は若い頃からその会社の剣道場で練習されていてこの像の事をご存知で興味をもっていらしたこと等、会社の方々ともお話をお聞かせ下さいました。
私は縁あって江戸千家に入門し、お茶の楽しさ奥深さを味わう機会を頂きました。何かの良い時に利休像をお納めできたらという気持ちが強くなってきたのを感じました。それからは利休像に感心を持ち調べてまいりました。件の作品は残念ながらオークションに出品されてしまいました。その後に二点の利休像に巡り逢い、その内の一点が今度お納めした作品です。
利休像はだいたい昭和二十年代に制作が始められ、表千家の画像、裏千家の木像に仿って、祖父の利休へのイメージをさらにそこに写し入れて制作したと刻銘を入れております。お納めしたお像はまさにこの型のものでした。
また、一方現在小平の美術館に残っているもう一体は、表千家、裏千家の御像を参考に制作したと彫っていますが、顔などの表情には祖父の作家としての個性が強く表現されており彫刻家田中が創造した利休像でした。
この二点、どちらをお納めしようかと長く迷い考えましたが、最終的には作家の個性が強く出たものはふさわしくないという思いに到りました。作品に接した方々が各人の利休像を思い描いて頂くのが良いと考えました。これが正解だったとこの日に実感いたしました。
新柳斎家元からお献茶を供えて頂き、名心宗匠が利休像の前で般若心経を唱えて下さり、これで魂の入ったお像として江戸千家川上家に末永くお納め出来たと心から安心すると共に喜びで一杯になりました。利休の立派なご真筆と共にこの利休居士像をお伝え頂ける事は祖父にとりましてもこの上ない幸せです。
ほっと安堵した後のお懐石は雲鶴先生のお手作りで早春の色どり滋味にあふれ美味しく頂きました。蕗の薹ののりとの和え物が染付吹墨の小つぼに、はまぐり、菜の花には白い山いもがふんわりとかけられ、赤楽の四方の平皿に映えていました。椀盛りのすり流しのしんじょうの雪解けの様な美しさ等々、そして福豆ごはん。どれも春のよろこびを身体に伝えてくれました。有り難うございました。
後座、腰掛け待合で静かにお待ちしていますと銅鑼の音が遠くの山里からきこえてくるのかと錯覚をしてしまう様なほどよい音色でした。
向掛けに不白作の竹一重切、銘「翁」にぼけと白い椿、炉辺の炭も赤々と釜のお煮えつき、名心宗匠がお濃茶をお点て下さり、長次郎の黒楽のお茶碗で、丁度良い練り加減の星の奥を大変美味しく頂戴しました。もう一碗は玉水焼の銘「雪あかつき」、利休のお茶杓、瀬戸の黄ぐすりの二筋なだれの茶入れ、利休居士につながるお道具を実際にお使い下さり、感嘆の声を上げるばかりでした。お薄は新柳斎家元がお点て下さり、雲鶴先生もお入りになり、感激の月釜でした。祖父と共に心より御礼申し上げます。
三寒四温、どうぞお身体ご自愛下さいませ。 かしこ
令和七年三月七日 平櫛京雪
名心庵宗匠 玉机下