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福沢諭吉記念文明塾 茶の湯体験会

平成二十九年五月二十日(土)
江戸千家家元邸

●福沢諭吉記念文明塾の「茶の湯体験会」が、五月二十日、家元邸で開かれました。家元の講話、茶室見学や庭の散策、「体操十種」、洋風の料理が盛られた八寸にワインの一献があり、家元によるお点前で、抹茶が振る舞われました。続いて花月の真で質疑応答や意見交換が熱心に続きました。感想文の中から一部抜粋して紹介します。

●ワインをいただきながら川上さんがお話しされていた「年を重ねた時に、お互い自宅に招き合える友人がどれだけいるか」との一言は、今後の人生を歩むうえで、大きなヒントをいただいたような気がした。
(山本多美子) 

●思えば、今回のお茶会、どの場面においても型を強要されませんでした。型にはめず各人が自由にお茶を楽しむこと。このようなホスト側の心持ちがおもてなしの際に最も大切なのだと思います。
(太田航起)

●逸り気になることは、勝負事にはつきもののようで、「しかしそれも性分だからね、それはそれとして付き合っていくしかないよねえ」とおっしゃっていたのは印象的だ。
(田幡夏海)

●「目をつぶれば市中の山居」……お家あげてのおもてなしが深く印象に残った。さらには「体操十種」体験。はだしになるとは思わなかったが、素足で畳をつかむ感覚や、だんだんと掌が温まってくる感じを体験した。そして、八寸ならぬ洋風のおつまみにワインの時間。形にとらわれずに「お茶事」の本質を教えて下さるひと時だった。「よく語らい、よく呑みよく食べ、そのあとに、互いに静かに向き合って、茶をたてる、という流れの意味を、体で理解することができた。最後のお茶の美味しかったこと!
(尾高 泉)

●もてなす側がこれほどまでに心を開いてくださると、こちらは自然とリラックスできるのだなあと、あとで実感した。風が通る住居の中から新緑の庭を眺めていると、閉じていた私の五感が開いてくるのを感じる。鳥のさえずり、豊かに水を含む苔、土のにおい、初夏の日差し、体操で自分の体を動かし背伸びをしながら「ああ、私、生きてるなあ」と宇宙の中に咲いた花である自ら生命をおしむ気持ちがあった。
(梅本真由美)

●最も心に焼き付けられた空間は「蓮華庵」である。思わず秘密の話をしたくなるムードが脳裏にクッキリ残っている。
(小坂元一)

●最も印象に残っているのは家元の奥さんが「茶器は使わなければ道具とは言えない」とおっしゃっていたセリフである。都会に住んでいて忙しい忙しいとしか言っていないような気がして少し自分が情けなくなった。
(東谷晃平)

●熱い議論を交わす時間ももちろん大切だけれど、こんな風に静寂の中にただ一緒に身を置いてみるだけの時間ももっともっと取りたいなと感じた。
(松尾友香里)

●浅草で着物を借りたのだがとても良い体験ができたと思う。正座しなくてもよかったことに救われた。しかしあれですね、畳の上で着物となればやはり正座の所作が美しいですね。
(東出紀之)

●いろんなお話を伺うことが出来たなかで、ちょっと驚いたのが、家元のご家族みんなが、ここに住んでいるとのことだった。敷地内の端っこに住んでますよと言ってたけど、まさに家元の家に招いてくれているのだから、ビックリ。
(渡邉美香)

●市中山居という言葉が残りました。もともと茶道は戦国武将が戦いを忘れて心を落ちつかせるために始まったものでもあるとお話をいただきました。現在は戦争のない平和な世の中ですが、情報の量が膨大で速度も速い。社会は複雑化しています。おまけに日本は人口減少中。今私のチームはメンタルヘルス不全に対する提言を考案中で、この茶道のものもとの存在理由は、解決の糸口の一つにならないだろうかと考えています。
(北條新太郎)


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