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福沢諭吉記念文明塾

和らぼと出合う冬の茶会

2014年2月25日(水)

雪の中庭
体操で体をほぐす

 東京に大雪の降った翌日、福沢諭吉記念文明塾の修了生を対象とした和らぼ主催(志賀晶子世話人)のお茶会が家元邸で開かれました。雪の中庭を眺めながら、体操で身体をほぐし、一献で気持ちを和らげてお茶をいただく、車座になって茶の湯にまつわる様々なディスカッションも行われました。送られてきた感想文の中から一部を紹介します。

●山崎博子
 川上さん、志賀さん、昨日はとても充実したイベントを企画してくださり、ありがとうございます。私が特に印象に残ったのは川上さんの「教習所をでて、免許をとったら実際に車で運転するものだ。茶道もそれと同じこと。日常で人をもてなす際にぜひ茶の湯を取り入れて欲しい」というコメントです。
 何のために習っているのかを忘れてしまうと、手段が目的になってしまいます。今後茶の湯を続ける上で自戒しようと思います。
 一つもっと議論が深まればよかったと思うことがあります。茶道文化が、どうしたら若者に貢献できるかです。
 非日常というキーワードがあがっていました。鬱などでメンタルヘルスがなかなか維持しにくい中で、茶の湯にはヒーリングの作用があると思います。また家元の体操も身体と心を整えるものだと思いました。スティーブジョブズが、禅に傾倒したように、心を支えるものとしての茶の湯、これが今後生き残って行く上での一つの形だと思います。
 とても貴重で素敵な時間を皆様本当にありがとうございました。

●八木 研
 仕事でも生活の中でも自分のことだけを考える時間がほとんどなのだろう。内向きなのである。
 川上さんは他者のことに想いを馳せている時間が圧倒的に長いのではないか。もしかすると自他の区別を明確にもつ必要がない心境なのかもしれない。
 小市民としては、いざ「おもてなし」をすると客が満足してくれたかを気にしてしまう。川上さんはどうやって客の満足度を測られているのかと考えたが、きっと愚問だろう。ご自分が気持ちよくその日を迎えられ、客とともに良き一日を過ごせたか。それでいいのだろう。少しの心残りがあっても、次の課題として自らに課しているのであり、続ける楽しみになるのではないか。
 呼吸とは自他の一体化、宇宙との同一化。恩着せがましい接待よりも、もてなす主人が客と一緒に笑顔になっている「おもてなし」を心がけたい。

その他の所感
・そんなに茶道って厳しいの?
・お茶が日常にもっと溶け込んでほしいという想い、そして茶道という非日常の場も大切にしたいという想い。両方あっていい。
・クローズドな世界だからの良さ。広まれば良いというものではないという考え方が茶道にもあるのだと想った。
・子供への日本文化教育が必要との指摘。知るきっかけは絶えず持っておきたいけど、まず自分からじゃないかな。
・お茶の作法を習うことは可能だが、人を招く事になれていない。育った環境に依存するのか? もてなすトレーニングはできないかな?
・「大幸似無幸」という福沢諭吉の書についてそれぞれの考えを述べ合った。幸せに甘んじてはいけないという戒めの言葉と捉える人。日常的こそが幸福なのではと捉える人。様々だった。ついついスマートフォンで調べてしまおうとしてしまった。思考停止ですね。正解を求めるのではなく、自分の頭で考える。川上さんの優しい語り口とユニークな表現、美しい所作に見入っていました。いつ呼吸をされているのかとても不思議でした。
 昨年も感じたことですが、奥様の佇まいが素敵なのです。奥様の座り方、立ち方、歩き方はどうしても真似ねできない。言葉を発するタイミングにも注目していました。
 大雪に見舞われた日ではありましたが、雪景色のお庭を拝見できたのは幸運でした。帰宅して抹茶はどこで手に入るのだろう、茶筌はいくらくらいなのだろう、と調べてみました。まずは実践ということで近くのスーパーで見つけた抹茶を購入してみました。茶筌がないので、カプチーノミキサーを利用。思ったよりも美味しくいただけましたが、少しまともな器が欲しくなりました。披露するような体験ではないですが、こうして踏み出すことができたのは今回のご縁をいただいたからだと思います。

●山崎卓郎
 感想を述べさせていただきます。
 最後の議論の際、気になった事がありましたので、その点についてです。
 お茶は「非日常」という意見があり非常に共感できたものの、周囲との「非日常」の定義にちょっと違和感を覚えました。私の「非日常」はもっとハードルの低いものだったからです。
 以前、百人程のシェアハウスに住んでいたため、何かを誰かからごちそうになる、ということは日常茶飯事でした。それは、お菓子であったり、お茶であったり、料理であったりと多岐に及ぶのですが、いずれも正直にいってお店で出てくるようなクオリティの高いものとはいえません。
 ただしこうも感じられました。自分の日常に、予期していなかったものが添えられるだけで、それは特別な体験になる、と。私はそれが「非日常」なのかなと思います。ちょっと感覚的なのですが……ささやかなものでも、プレゼントをされると嬉しくなりますよね」そんな気持ちと同様です。そのプレゼントがもし誰かが点ててくれた一杯のお茶だったら、ということを考えると、僕はそれだけで「非日常」だと感じます。抹茶なんて滅多に飲めるものではありませんし。
 抹茶は美味しいと思いますし、他人に喜ばれるものだと思います。議論の中で、パーティーの最後にお茶を振る舞うというお話がありましたが、私もまずは、そんな簡単なお茶から始めたいと思いました。
 ということで、手始めに宇治抹茶を購入。朝食の際、自分で点ててみるところから始めてみました。朝から凛とした気持ちになって大変良いです。次は家に来てくれる方にお出ししてみたいと思います。


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