2009年11月29日
日々精進することへの誓い-乱飾ご相伝をいただいて–
大井清雪(長野不白会)
感激の記念撮影
冬も間近の十一月二十九日、長野不白会支部長先生宅におきまして、三名の先生立ち会いのもと、森泉社中三名が師範の免許状をいただくご相伝式を執り行っていただきました。
この日を迎えるに当たりましては、日々不安と緊張の中で過ごしておりました。しかし当日のお天気がご相伝式を象徴したかのように初冬の穏やかな晴天となり、神様も私達を見守ってくれたのだと思いましたら嬉しくなりました。
【会記】
寄付
床 騎牛帰家 画賛 名心庵
花 姫水木 西王母椿
花入 高麗青磁
本席
床 喫茶去 大亀老師八十七歳書
花 檀香梅 土佐水木 白玉椿
花入 青銅経筒 大西浄林 初代作
香合 金獅子 不白写 牧庵
竹台子飾
皆具 青磁雲鶴象嵌 柳海剛
炉縁 雪月花蒔絵 春慶塗
釜 雪輪紋霰 長野烈
茶入 青磁 柳海剛
仕服 紹鴎緞子
茶杓 雪輪 一元斎
天目台眞塗
茶碗 油滴天目 池順鐸
御茶 星の奥 八女星野園
御菓子 千里虎 彩雲堂
器 古九谷
以上
午前十時三十分頃、寄付で白湯をいただき、お席入り、乱飾りでの支部長先生の流れるようなお点前。目が釘付けとなりました。天目台でいただいた美味しいお茶にそれまでの緊張がほぐれ、格別なお味がいたしました。
中立ち後、懐石、薄茶と進み、最後にお家元からの茶の湯の道号、素敵なお名前を、支部長先生より、ご相伝していただきました。
「これからは皆様で協力して茶の湯を盛り上げてください」という言葉を聞きながら、これまで私達を育ててくださった先生のご苦労が頭によぎり、自然に目頭から熱いものが流れていて、必死でこらえている自分がそこにおりました。今日まで、年齢も入門の時期も様々な未熟な私達を、懇切丁寧に、辛抱強くここまでご指導いただきましたことへの感謝の気持ちでただただ胸がいっぱいでした。
本当に茶の湯に入門し、続けてきて良かったと思います。そして「これからも日々精進していくこと」と決意を新たにいたしまして、御看板と伝書をいただき、帰路につきました。
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2009年11月27日
ご相伝式に臨んで
豊田宗恵(大分不白会)
紅葉の美しい十一月下旬、家元邸花月の間にて乱飾のお許しをいただきました。
心配されておりましたお天気にも恵まれ、無事にこの日を迎えられましたことは、支部長様をはじめ、諸先生方のお陰と深く感謝いたしております。
一歩露地に踏み入ると、そこからはもう、お茶の世界、今迄感じたことのない清浄な空気に触れたような、心までも清められた感じがいたしました。
まず、不白像にお参りをし、緊張の中席入りです。やわらかな日ざしと鳥のさえずりに少しずつ緊張も解けていきました。お家元様をはじめ、皆々様の清流のごとき所作に見とれ、奥様御手作りのお料理を美味しくいただきまして、とても感動いたしました。お許しをいただきましたことは、私の何にも勝る宝物となることでございましょう。私もお客様に心が届くお茶事ができますように、ますますお茶の道に邁進する覚悟でございます。
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2009年11月23日
「菓子の茶事」を学ぶ
宗康先生招請研究会
飯野宗志(甲府不白会)
小間での茶事を学ぶ
先ずは小間の設い、茶事の進行、もてなしの心得についてお話を伺い、さっそく実践に移りました。初座の床にはお軸のみ。当日は誡堂老師の『時雨洗紅葉』を掛け、外待合の客を迎え付けに行く。前日の雨に洗われた紅葉の間からこぼれる秋の陽を受けつつ、客は立ち蹲踞を使い、躙り口を潜るなど初歩から教えていただきました。
炭点前の後、主菓子を縁高にて差し上げ中立、午後は棗を交代し、お濃茶と薄茶を続けて差し上げる、付け薄茶の作法を教えていただきました。
床の竹花入に大白玉椿と雪柳が活けられ美味しいお茶をいただき、大変に充実した秋の一日を過ごすことができました。少人数の会ですが、丁寧に教えていただき、これならば、各家庭で実践しやすいのではないかと、改めて、お茶事の良さを皆で話しあったところでございます。
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2009年11月15日
孤峰忌を営む
柏井宗武(高知不白会)
例年通り十一月十五日(第三日曜)に、日蓮宗の要法寺において流祖川上不白の遺徳を偲び、石州流、表千家流、裏千家、表千家不白流、大日本茶道学会の五流会派の方々をお招きして孤峰忌を営んだ。
【日記原文】
廿五日茶人川上不白ヲ徴シテ茶道ノ指南ヲ受ク
〔御日記〕 安永五年 十一月二十五日
川上不白
右ハ茶道為指南諸家へ立入候趣ニ付我等儀も致稽
古依之用役共より不白手前承合置今日罷出候様先達
御申遣置候付今日罷出於客座敷一通リ令月見夫より
居間に召呼薄茶前令所望一覧之上以来我等稽古見合
候様且此以後定日三九之日可相極候間其度度罷出候
様申聞之
但以来罷出候節膳番小小性共之中相手申付候もの
我等稽古仕舞候跡ニ而手前見合遣候様用役共より申
聞之
午前中は自流のみで流祖を祭り茶を献じ、薄茶席二席で流祖の遺徳を偲びながら茶を喫した。午後は五流会派のお客様に濃茶席、薄茶席二席でお茶を差し上げた。
この孤峰忌の始まりは現在ではつまびらかではないが昭和二十年以前から石州流は石州忌、表千家流は利休忌、江戸千家(当時は不白流と通称されていた)は孤峰忌と、お互いに招き招かれしてきた。今後もこの流れを大事にして孤峰忌は続けていくとしている。
高知県においては昔から石州流、表千家とは縁が深く特に石州流とは土佐藩時代から同じ茶頭として土佐藩に仕えていた。当然ながら当初は大名茶である石州流が茶頭役であったが安永五年(一七七六)十一月二十五日山内家九代豊雍公時代の日記に「二十五日茶人川上不白を徴して茶道の指南を受く」とあり、この頃から流祖不白の流れが土佐藩の茶頭役に取り立てられた、このことが高知県における江戸千家の発祥であり、今日に至っている。
なお、山内家の日記原文は右の通りですので、参考としてください。
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